自我を手放す

気づき・Letters,自我、エゴ

 

 

最近、「自我」について思うことが増えました。

 

 

「自我」が何かって言ったら、

自分、自己。

自分と他人、自分と世界、を分けて考えた時に生まれるこちら側の存在。

分離の意識がもとになっている存在。

自意識、

エゴ、

など

 

 

何かと何かを区別して、そこから生じるもの

わたし、あなた

わたし、わたしでないもの

 

 

昨年あたりの充電中は、自我満載。

自我を満たすキャンペーンを展開していて

「わたしはこうしたい」「あなたじゃなくて、わたしね」

過去にやりたくてやらなかったものや、おもいつく、あらゆる欲望、願望、を満たす事をやるキャンペーンでした。

 

 

それが今年の春ごろに治まり、自我展開キャンペーンは自然と終了。

「ああもう充分やりました」

「なんだかもう、何でもいいなあ」と色んなことが許せるようになってきました。

自分でも驚くくらい多様なものごとが赦せるようになりました。

それは、諦め、ではなく、満足感からだと思います。

 

 

そして、アメブロにも書いたけれど

今は、自我よりも高自我(ディヴァイン・オーダー、見えない何かの力、ハイアーセルフの中のハイアーセルフ、大いなる流れ等)に任せる意識が生まれています。

やっと、だね。

 

 

今年の私のテーマは、自我を手放すことがどんなことなのか知り、

そして、それにより起こる出来事を体験していくこと

そう感じます。

 

 

 

 

人間が生まれる目的には様々あり、そのうちの重要ポイントが

「いかに自我を手放すか」

 

 

どんな自我を自分が持っているか知り

それをどれだけ手放していくか?

 

 

これなんだろうな。

 

 

私の経験だけでいっているのではなく、いまの地球の事象や集合意識の変化をみてもそう思う。

 

 

自我も大事な生きるためのポイントであって、それがあるからこそ、自分の人生のストーリーを体験できる。

生まれるための、目的。

 

 

だからこそ、そこにハマるのはもう辞めることだなと、つくづく思う。

自分の人生を、自我を満たすためだけに生きるのは、ある時点で気が付いて止めないと。

その先に行かれることを、思い出して。

 

 

でも、自我を手放すためには、頭で思ってもそうはいかない。

手放すためには、それを堪能すること。

満ち足りて、満足を感じること。

 

 

また、無かったことにしないことも大切。

きれいごとばかり見て、本音を無視したままでは、解消されないから先に進まない。

宿題は、そのままになる。

 

 

人間が何度も生まれてきているのは、「それをするため」なのが本当のところ。

そして、終わっていない、と思い込んで、何度も繰り返してしまうのも、同じこと。

 

 

ほんとうは終わっている、できている、と気が付くこと

残りの人生の時間も

次の人生も、がらっと変わっていくと思う。

 

 

思う、というか、そうだ、とここでは言っておく。