お金に対する意識変化 1 

宇宙、星、自然,日常・わたしの場合,気づき・Letters

師走ももう半ば。

なんとなく自分の2017年を振り返ってみたりして、面白い一年でしたわ~。

今いる環境と、1年前の環境と、自分を取り巻くものが全く変わってしまって、当然、意識も変わって、見える景色が広がりました。

ゆるっと始めた充電も、どうなることやら~と思っていたら、手放すものも迎えたものも全部が必然の流れの中にあったことを、改めてひしひしと感じております。

 

 

変わったものと言えば色々あるのですが、これも大きかったぞというのは、お金のこと

今はお仕事はしていなくて、言ってみれば、無収入な私。

一時していたバイトは、社会勉強の役割が済んだので終了し、今は正真正銘のフリー。

たまに興味のあるセミナーに行ったり、講座を受けたりする日々。

自分の自由になるお金は限られますが、逆に時間はたっぷり。

 

 

そんな風にこの1年を過ごしてきて、もやもやした時期もあれば、満足した時期もあって、周りを観たり自分を内観したりを繰り返しているうち、新しい感覚が自分の中に湧いてきました。

 

 

「お金って、有っても無くても同じだな」

「お金は沢山持っていても、大して持っていなくても、大きくても小さくても、同じ」

 

 

なんだよ、こんなこと沢山持ってから言えよ~ とか、すっからかんになってから言いなよ~

というお声も聞こえそうですが、いつかどこかの時代で両者を経験したこともあるし、この時代でも心理的にまったく当てはまらない訳でもないのでね。

 

 

「沢山持っていても、大して持っていなくても、大きくても小さくても、同じ」

これはまだ感覚的なものなので、うまく言語化し難いのですが、

一つには、現行の貨幣制度がいずれ消えて行くような感覚もあるからなのですよね~

これはもう個人的未来予測なので、ブログでつぶやく程度にしておきます。

 

 

ですが、私の感覚だけでなくて、実際、お金に対する世の中の価値観がどんどんと変わってきています。

分かりやすいのは、独自通貨、たくさん出てきていますしね。

この流れは、加速して行くでしょうね。

 

 

特に、次の世代である今の子供たちや、10代20代の若い人をみていると、ますます流れは止まらないと感じます。

彼らのうちの大勢にとってのお金は、生きるために執着するものでもなく、だから、沢山得るために、自分の人生の命を削ることはしない傾向がある。

 

 

日ハムから米国のメジャー アナハイム・エンジェルスに移籍が決まった大谷選手を見ていても、通じるものがあると思います。

8日に決まったその契約では、契約金が約2億5千万円でした。

でも、彼の場合、もっと出してくれる球団からも声がかかっていたし、さらにあと2年待てばその100倍の250億円!でメジャーと契約できるのですが、待つことをせず、少ない金額でも今移籍することを決めたんですよね~

今、そして、エンジェルスに移籍する理由の一つが、「自分が成長できる環境がある」ことだそう。

利よりも、実を取ったというか。

 

 

丁度お金のエネルギーが変わりつつあるところに、彼のような若いビッグスターがこういう選択をして、それを地球上の何億人もの人が見つめていること。

意味ありげだし、私達の集合意識にも大きな作用がありそうですよ。

(カリフォルニア・アナハイムのエンジェルスのマスコット。大谷君はこのチームに^^)

 

 

反対に、私を含めた上の世代は、どっぷりまだ古い価値観に生きています。

「沢山持っていることが、人生の価値、自分の価値を示している」という価値観。

お金をたくさん持っていることで社会で得られるステイタス、人からの視線、位置づけが、人生の基準や人間を測る基準になっている。

その奥には、優越感、選民意識、虚栄心、自己投影などが見え隠れしています。

良い悪いではなくて、そういう価値観がベースとなった社会に生きているのです。

 

 

 

 

続きます。

 

 

2017-12-18常識

Posted by aria