「生きる」ことの祈り

宇宙、星、自然,気づき・Letters,生と死、命、魂

今日は午後2時半ごろに新月になりますね。

 

 

 

昨日あたりから、ずいぶん前に亡くなっている祖父母や父のことが思い出されます。

祖父母は約20年前、実父は11年前に他界しています。

結構前のことになるので、普段はもはや思い出すことも少なくなっていたのですが、生きていたころの、日常の些細な風景が浮かんでくるんですよ。

家庭内の問題は、どの家も比べることはできないけれど、うちは、子供ながら自分の家から自由になりたいと願っている、そんな家庭でした。

 

 

 

無邪気とはいえない子供時代のあれこれが、記憶の箱からこぼれるように、ぼろぼろと蘇って来る。

 

 

 

ある時、父が、いつもは通らない道を通って、車で送ってくれた時のこと。

毎朝毎晩、長いこと神棚に手を合わせていた祖母の姿。

いつも豪快に何でも笑い飛ばしてしまう祖父が、晩年は深刻な顔が増えたこと。

 

 

 

出来事が鮮明に、そして、その時の私の気持ちだけでなく、父や祖母や祖父の気持ち、感じ思っていたことが、今、手に取るように分かるのです。

 

 

 

20年経って、30年経ってやっと、「ああ、そうだったんだ!」と、不思議なくらい沢山の出来事の謎が解けていきました。

 

 

 

 

 

 

 

どの時も、父や祖母や祖父は、祈ってくれていました。

 

 

 

環境が変わる先でうまくやれるように

困ることが無いように

元気に無事で暮らしていかれるように

 

 

 

その根底にあるのは

「この子たちを生かそう」という意志

「これからも生きなさい」という慈愛

 

 

 

どんなに反抗しても、わがままを言っても、それでも、「生きること」を祈ってくれていました。

 

 

 

この人たちの思い、願い、祈り があって、今の私たちがいる。

今までもそれを感じることはあったけれど、もっと深く、まるで私が祖父や祖母、父になり替わったかのように、その思いや願い、祈りを感じるのです。

伝わって来る、よりも、自分が肌身で体感しているように。

ようやく知ることができて、夜中に一人、泣けてきました。

 

 

 

一つとして切り離されていなくて、誰一人、切り離されていなくて、全部繋がっているのです。

本流からの水は、支流にも流れて来るように、同じ水の一部なのです。

時が経ったとしても、消えるのではなくて、いつでも在る。

過去に感じた思いも、願いも、祈りも、意識も。

 

 

 

同じことは、家族、血縁に限らず、世界中の誰にも言えるんですね。

お隣さんにも、その人を思う誰かがいて、生きることを祈ってくれて、またそのお隣さんだって誰かの生を祈っていて。

そうしてその誰かは、地球の裏側に住んでいるかもしれないし、自分の知っている人であるかもしれなくて、その知人はまた、自分の生を祈っていてくれるかもしれないし、自分も同じように祈っているかもしれない。

 

 

 

生きてこそ、なんて、人により事情がいろいろだから軽々しく言えませんが、生きていることで経験して、知って、理解できます。

この機会、この時間、ここで得たことが自分も誰かも満たしていく。

 

 

 

自分が生きることを祈ってくれている誰かの思いも大切にしたい、と心新たになりました。

 

 

 

N.S.ハルシャ  私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る  (部分)  1999-2001年

 

(N.S. ハルシャ展より。画像は掲載許可済み です。)

 

 

 

2019-05-15生と死

Posted by aria